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山の歴史やアイルランドの文化を綴っていきます

月と姨捨の歌に詠まれる『冠着山』:火山に見える山の成因とは……【筑北三山ハシゴ登山③】May 3, 2019

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冠着山(右のピラミッド型の頂き)。筑北三山、四阿屋山から撮影

 

君が行く処ときけば月見つつ姨捨山ぞ恋しかるべき 紀貫之 

 

 「姨捨山」:古来より棄老説話と共に月の名所としても知られ、多くの有名・無名の歌人によって詠われた山。

冠着山」:戸隠神社に祀られる「天手力男神(アメノタジカラオ)」が、天宇受売命(アメノウズメ)の踊りに誘われ顔を出した天照大御神(アマテラス)を引き出した後、天の岩戸を戸隠まで運んでいる途中に冠を脱いで休んだとされる山。

この二つの山は異なる云われを持ちますが、実は「姨捨山」は「冠着山」の別名であり、同一の山です。この山には、上で述べたお話だけでなく、たくさんの伝説や説話があり、昔から人々の関心を集めていたようです。

また、特徴的な姨捨山の形状や「田毎の月」で知られる姨捨の棚田は、地学的にも興味深い特色があります。

 

GWに筑北三山を1日で巡る登山。最終回は冠着山(姨捨山)です。

 

 

冠着山(姨捨山)への道のり

登山データ

冠着山』 難易度:★☆☆☆☆*1

【所在地】長野県千曲市東筑摩郡筑北村。長野道麻績ICより鳥居平駐車場まで車で30分

【標高】1,252m

【高度差】190m

【歩行距離】2.4km

【歩行時間】1h

【展望良さ】★★☆☆☆ 

【難所有無】なし。鎖場など無く、良く整備された登山道。 

【山域地質】下記、「地学」項目で述べます。

鳥居平登山口の駐車場。冠着山頂上は右上の行政区分線が大きく曲がった部分。

 

登山道概要

登山ルート

  1. 鳥居平ルート(筑北村
  2. 一の鳥居ルート(千曲市
  3. 坊城平ルート(千曲市) 

冠着山へのルートは3ルートあります。今回は筑北村側から入りましたので「鳥居平ルート」を通りました。

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10台以上停められそうな広い駐車場(写真左)の脇に登山道(林道)が始まります。車で上がれる路面状態ですが、入り口の注意書きには車で乗り入れないよう指示がありました。

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10分ほど(約0.5㎞)歩くと林道が終わり、歩道に切り替わります。

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5分ほど登ると鞍部に出ます。さらに稜線を15分登ると山頂に着きます。あまりの短さに拍子抜けです。山に置いていかれたお婆さんも帰ってこられそうです……

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なだらかな山頂には冠着神社があり、もちろん?月夜見尊が祀られています。

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山頂と展望台からの眺め

頂上は松林に一部囲われており、それほど眺望はよくありません。山よりも街が良く見える印象でした。

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北東部の眺望:長野盆地と霞む北信五岳

 

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上記写真の左部分拡大:長野道姨捨SAと「田毎の月」で名高い姨捨の棚田。奥にJR姨捨駅のスイッチバックの線路が一部見える。姨捨駅は左斜面に隠れている。

 

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南部の眺望:上田盆地千曲川。左奥に荒船山が見える。

 

稜線の中程の「展望台」からは、西側の北アルプス方面が望めました。当日は霞んでよく見えませんでした。小学生二人連れのお父さんが休憩していましたが、GWの家族サービスでお疲れのご様子でした……

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筑北三山の四阿屋山

 

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筑北三山の聖山(電波塔部分)、その背後に蓮華岳(聖山のすぐ上のピーク)と爺ヶ岳(一番右側の複数のピーク)

 

冠着山(姨捨山)について

姨捨伝説

まず姨捨山と言えば姨捨伝説でしょう。昔話を少しでも読んだり聞いたりしたことのある方であれば、必ず知っていると言っていいほどの民話です。

古くは平安時代前期の「大和物語」に登場し、幾つもの説話集などで形を変え語られています。

平安時代後期の「今昔物語」では、国主の命に背き家に隠した老いたおばの知恵で、孝行者が苦境を切り抜けるお話。一方「大和物語」では、嫁に言われて年老いた母を山に捨てた夫が、耐え切れずに連れ戻す内容です。

100年も200年も経てばお話も変わってしまうかもしれませんが、どちらも家族愛を表しているのではないでしょうか。現在にも通ずる教訓が込められているのでしょうね。

 

わがこころ慰めかねつさらしなや姨捨山に照る月を見て 詠み人知らず 

姨捨山を詠んだ歌は、姨捨伝説を記した「大和物語」よりも前、平安時代初期に成立した勅撰和歌集古今和歌集」に初めて見られます。

その後も多くの歌人に詠まれ、たとえば、紀貫之藤原定家小林一茶松尾芭蕉、そして山頂の石碑にもその歌が刻まれる高浜虚子

更級や姨捨山の月ぞこれ 高浜虚子

「田毎の月」で知られる姨捨の棚田から望む美しい月や姨捨伝説は、古来より多くの歌人を惹きつけてきたようです。

 

地学

姨捨山から北方、この「田毎の月」を映す棚田は、長野盆地に突き出る緩傾斜地形の上にあります。この地形はその西方にある「三峯山」の土石流(姨捨土石流)の堆積物によって出来たとされています。

この棚田の南にある「姨捨山」は、フォッサマグナの海に堆積した地層(~700万年前)に、地下から上がってきたマグマが急に冷え固まる(~500万年前)ことによって出来たと一般的に考えられています。

しかし、地質学者の間で、一見火山に見える山頂付近の成因に関して食い違いがあるようです。

ある専門家は言います。雲仙普賢岳のように、地下から上がってきた粘り気の強いマグマが、山頂から流れ出ずに留まることによって出来た溶岩円頂丘(溶岩ドーム)であると。

またある学者は言います。マグマが上がってくる火道が浸食によって残り、火道内の固い火山岩安山岩溶岩)が露出し現在の山の形をつくったと。

どちらの考えが正しいのでしょうか……謎は謎のままにしておくのも、月に映える姨捨山を更に美しくするのかもしれませんね……

いずれにしろ、大昔の火山ですので噴火の危険性はないようです……

 

おわりに

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山桜咲く筑北三山は、三山三様、個性的な山であり、今回紹介した冠着山のように古くから地域や都の人々に親しまれ、日本全国に知られている山もあります。どの山も登山道が良く整備されており、地域の山として現在も大切にされていることが窺われます。

里山を登る醍醐味とは、このように昔から現在に続く地域の文化を味わうことにあるのでしょうね。筑北三山登山は、私にとって新しい発見でした。

今回の山行では、あいにく新月に近い時期でしたが、月の綺麗な時にまた訪れてみようと思います。

 

関連記事

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引用・参考サイト

姨捨冠着総合
姨捨伝説

コトバンク姥捨山伝説(うばすてやまでんせつ)とは

和歌

上田女子短期大学リポジトリ西山秀人 月を詠まない姨捨山の歌 

姨捨

JR東日本旅客鉄道株式会社 長野支社:姨捨駅「スイッチバック」 

地学

*1:★1ピクニックレベル、★3丹沢、★5穂高連峰 ※筆者主観。★1でも油断禁物!

一等三角点はダテじゃない!パノラマビューの『聖山』@信州【筑北三山ハシゴ登山②】May 3, 2019

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聖山(台状山頂の左側。右はたらら山)。長野市中条、アルプス展望広場・夢の駅から撮影

 

長野県北部の中心を貫く筑摩山地には、日本列島形成後、フォッサマグナ地域で活動していた火山(主に第三紀鮮新世、数百万年前)が多くみられます。

火山体としての地形は失われているものが多いですが、たとえば美ヶ原高原は溶岩流による大規模な台上地形を残しています。

その北に位置する、玄武岩からなる聖山も台上地形を形成しており、溶岩流によるものであると考えられているようです(笹沼・山元, 2012など)。

メンドクサクナッテキタ

 

 

筑北三山の最高峰「聖山」

「聖山」とは?

  • 聖山。南アルプス百名山聖岳」ではありません。
  • 聖山。新潟や広島の聖山ではありません。
  • 聖山。麓の麻績村は、ませきむらではありません。

 

では、信州の「聖山」とは?

  • 電波塔がにょきにょき生えた里山(結構目立つ)
  • 平べったいので、どこが山頂かわかりづらい里山(全部だと思ってたら違ってた)
  • 近くの人造湖にアヒルボートが浮かび、長野市民憩いの里山(かどうかは知らない)

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 これが「聖山」です。(上の写真、正確には聖湖)

 

里山に全く興味がなかった私がどうしてこんな山に登ったのか……?

  1. 体力がない!(切実)
  2. 適当に登ってたら着く!(横着)
  3. でも、眺めがイイところがイイ!(我儘)

そんな軟弱者の欲求を満たしてくれるのが「聖山」ですw

実際、車でも頂上まで上がれちゃいます(白目)

 

エット……スミマセン……

 

「聖山」は長野市東筑摩郡麻績村の境に広がる「筑北三山」の一つです。「聖山」という山名は、この地に由縁のある鎌倉時代の仏教僧にちなむ説や、湧水池を樋尻(ひじり)と呼んだこととも言われているそうです。

 

因みに、所在地の一つ麻績村は「おみむら」と読みます。知らないと読みにくい地名ですね。村の名前の由来は、村長さんが説明されています。

「麻績」の語源は、大和朝廷によって招かれた高麗からの帰化人が、この地で麻を績いだことによるといわれています。

出典:村長のページ | 長野県麻績村(おみむら)公式サイト

 

「聖山」は一等三角点が設置されています。先日登った「京ヶ倉・大城」には三等三角点があり、北アルプスの眺めを堪能してきました。

兼ねてからよく耳にしていた「聖山」の一等三角点からの素晴らしい眺め。噂に違わぬものか?「京ヶ倉・大城」を越えるものなのか?と期待して、筑北三山の最高峰「聖山」に登ってみました!(通常運転に戻ったw)

 

登山データ

『聖山』 難易度:★★☆☆☆*1

【所在地】長野県東筑摩郡麻績村。長野道麻績ICより坊平登山口まで車で30分

【標高】1,447m

【高度差】360m

【歩行距離】5km

【歩行時間】2h

【展望良さ】★★★★☆ 北アルプス南部等、一部木立で見えません。電波塔も地味に邪魔……

【難所有無】なし。鎖場など無く、良く整備された登山道。 

【山域地質】第三紀末、鮮新世(数百万年前)。安山岩玄武岩の溶岩や角礫岩からなる。その上に第四紀更新世の大町テフラ(広域火山灰)が覆う。基盤は中新世後期、裾花層(流紋岩安山岩質)や小川層(砂泥互層など堆積岩主体)。

 

登山ルート概要

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  1. 坊平登山道(南斜面)
  2. 三ツ和峠登山道(主稜線上)
  3. 裏ルート*2

今回の筑北三山ハシゴ登山では、ルート1「坊平登山道」から聖山に上がりました。坊平登山道は聖山南斜面を上がり、稜線でルート2「三ツ和峠登山道」と合流し聖山に至ります。

 

登山口までは、車で麻績村中心地から法善寺へ向かい、お寺の前を通り山腹を20分程上がります。やがて聖山別荘地になり、しばらく走らせると坊平登山口が左手に見えてきますが、周辺に駐車場はありません。100m程先のカーブに駐車できる広場があり、そこから登山開始です。

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駐車スペースと登山口

 

登山口から標識通りに別荘地の車道を上がると、登山道に切り替わります。

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車道から登山道に切り替わるポイント 

 

のどかな登山道を30分ほど進むと熊笹が出てきて、すぐに稜線になります。

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登山道はよく整備されており歩きやすい。下草が熊笹に切り替わると稜線が近い。

 

上水道施設のある稜線に出て振り返ると、坊平方面の標識がありませんので、帰りに間違わないように気を付けてください。

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稜線に到着し振り返ると、左がルート2の三ツ和峠へ。右が今まで来た道、坊平方面。

 

進行方向に向くと、左が聖山方面になります。20分ほどで山頂に着きます。

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聖山へは左の道

 

稜線ものどかな道が続きますが、あずま屋を巻き頂上方面に進むと滑りやすい登りになるので気を付けましょう。ここが一番きついかもしれません。

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あずま屋の分岐。右に進むと頂上へ。

 

山頂眺望

一等三角点だけあって(三角点撮影するの忘れた……)、眺めは抜群でした!が、北アルプスの一部(餓鬼岳から常念岳)が木立に隠れており、ちょっと残念でした。360度ではなく315度くらい?のパノラマビューでした。

それでも、普段見ることのない山や街が眼前に迫り、適度な高度感と合わせ満足でした!

 

また、電波塔の管理用の道路があるので、付近を観光がてら気軽にパノラマビューを楽しめると思います。実際、私が立ち去る間際に、車から降りてきた観光客の方たちが絶景に驚いていました。なお車道は、主稜線を挟んで反対側(北斜面)にある「聖山パノラマホテル」から山頂まで続きます。

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北アルプス北部(白馬岳ー烏帽子岳

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鹿島槍ヶ岳五龍

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蓮華岳とたらら山の国交省聖高原レーダ雨雪量観測所

 

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筑北三山、冠着山と四阿屋山

 

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長野市中心地

 

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あれ、幻影だよね?(笑)

 

おわりに

この記事を書いている日、5月9日も筑摩山地の里山を登ってきました。そこから見える雄大な「聖山」はやはり存在感があり、地域を代表する里山だと実感しました。

 

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新緑に彩られる里山を従え、悠然と佇む聖山とたらら山。北方の虫倉山から撮影

 

遠く見える「聖山」を撮影していると、前に広がる広大な山また山に圧倒され、信州は本当に山国なんだと再認識しました。さらに、山麓や谷あいの集落それぞれに独自の文化があることに驚かされました。この時の様子はまた別の機会に。

 

次回予告。【筑北三山ハシゴ登山③】冠着山編。

別名「姨捨山」。姨捨伝説の残る山は、意外にも登りやすい山だった~!

 

関連記事

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引用・参考資料

  • 笹沼 貴弘, 山元 正継(2012)北部フォッサマグナ,聖山火山岩類の地質・岩石学的特徴. 日本地質学会学術大会講演要旨. 第119年学術大会(2012大阪).(pdfファイル, J-STAGE
  • 加藤碩一(1980)坂城地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1図幅), 地質調査所, 57p. (リンク産総研地質調査総合センター)

*1:★1ピクニックレベル、★3丹沢、★5穂高連峰 ※筆者主観。★1でも油断禁物!

*2:全然裏じゃないですが、聖山パノラマホテル(旧聖山高原パノラマスキー場)から山頂まで舗装道路があり、車で上がれます

百名山の四阿山ではない方の『四阿屋山』@信州【筑北三山ハシゴ登山①】May 3, 2019

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四阿屋山。北方の冠着山から撮影

信州には北アルプスを始めとする日本アルプス八ヶ岳浅間山など多くの人に知られる山々が集まります。これらの名立たる山々は信州の国境に位置し、中央部は一見空白地帯のように見えます。

しかし、その中央部を埋めるように位置する筑摩山地には、百名山の美ヶ原高原を筆頭に鉢伏山高ボッチ山、さらに先週紹介した京ヶ倉・大城のようにたくさんの個性的な山が存在します。

 

憲法記念日の5月3日に、この筑摩山地に位置する「筑北三山」をハシゴしてきましたので、いくつかに分けて紹介していきたいと思います。

筑北三山とは、長野県東筑摩郡筑北村麻績村(おみむら)にある個性的な三つの山であり、「四阿屋山」、「聖山」、「冠着山」から成ります。

それぞれが地域を代表する里山として知られており、登山道も地域の人々の手によってよく整備されています。さらに、一つ一つのコースがコンパクトですので、1日で周ることができます。

今回の【筑北三山ハシゴ登山】では、四阿屋山、聖山、冠着山の順番で登ってきました。まずは四阿屋山について紹介していこうと思います。

 

 

四阿屋山(信州) 標高1,387m

山を登る人に「あずまやさん」と問えば、多くの方が百名山の「四阿山(長野県・群馬県)」を答えるかと思います。私も最近までそうでしたが、先週登った「京ヶ倉・大城」から見える山々を改めて見直してみると、ごく近いところに同じ名前を冠し、一文字多い「四阿屋山」があることを知りました。 

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後方の左側が「四阿屋山」。京ヶ倉・大城より撮影

 

北アルプスを登っていた頃の私は里山に対して無頓着で、自分の住んでいる地域にどんな里山があるのかをほとんど知りませんでした(汗)。しかし、最近の個人的な登山ブーム里山に対する興味が高まり、自分の住む街が魅力的な里山に囲まれていることに気付きました。灯台下暗し……

そんな反省も踏まえて、北アルプスが登れるようになる来月までは(冬山はやりません)、筑摩山地の里山を中心に歩いていこうと考えています。

 

「四阿屋山」は、少し個人的な反省に話が逸れましたが、埼玉県秩父山地にも同じ名前の山があるようです。今回私が登った四阿屋山は長野市松本市の間にある筑摩山地に位置し、筑北三山の一角をなします。

筑北村からよく目立つ四阿屋山は、筑北地域のシンボルとして、水源の山として、そして五穀豊穣を祈願する山として、地域の人々に愛されてきたようです。またこの地域には、正月に餅の代わりに蕎麦かうどんを食べる「餅なし正月」の風習があり、その起源は四阿屋山にあるそうです*1

このように四阿屋山は、筑北地域の暮らしに深く根差した山と言えるでしょう。

 

さて、本題の四阿屋山登山です。

筑北村観光案内のサイトによると、登山ルートは、

  1. 坂北(中村)ルート
  2. 坂北(刈谷沢)ルート
  3. 本城(栃平沢)ルート
  4. 坂井(草湯ルート)

の4ルートがあります。今回は筑北村おすすめの「1. 坂北(中村)ルート(登り)」と「2. 坂北(刈谷沢)ルート(下り)」を選択しました。

ルート1は石造物群(ちょっと脇道に逸れ、ピストンします)や見晴台(北アルプス眺望◎)があり、他のルートと比べ変化に富んでいます。ルート2は、ルート1下部をショートカットしたものです。

 

ところで、「四阿屋山」はおすすめの山かと問われると、お隣のバリエーションに富んだ「京ヶ倉・大城」に比べ、些か貧相(失礼)で……

しかし!

  • 登山道までの車道や駐車場の状態の良さ
  • 安全な登山道
  • 見晴台からの展望の良さ
  • 登山客が少ない(早朝でしたので、状況によりますが……)

以上4点を考えると、静かな環境で北アルプスの眺望を楽しみたい方におすすめの山と言えるでしょう!また途中の石造物群もそれぞれの個性的なお顔が魅力的で、筑北村の風習を感じながら登ることができます。

時間帯にもよりますが、四阿屋山では単独行の男性とお会いしただけです。一方、後半に登った聖山(山頂まで車道あり)や冠着山(山頂まで徒歩30分)では、登山客や一般客が多い印象でした。

 

登山データ

今回から他サイトや山雑誌を参考に、登山データの項目を整理整頓してみました。見やすいように随時見直していきたいと思います。

 

『四阿屋山』 難易度:★★☆☆☆*2

【所在地】長野県東筑摩郡筑北村長野道麻績ICより坂北(中村)ルート登山口まで車で30分

【標高】1,387m

【高度差】450m

【歩行距離】6km

【歩行時間】2h30m

【展望良さ】★★★★☆ 見晴台から北アルプスの展望◎ 頂上からの展望△

【難所有無】なし。鎖場など無く、良く整備された登山道。 

【山域地質】中新世後期(1,000万年前以降、日本列島原形が完成し、フォッサマグナは海だった時代)。山頂は下位の裾花層の溶岩及び凝灰岩を貫く?形で冠着安山岩の溶岩が分布。山腹は堆積岩からなる小川層が基盤として広がる*3。登山道全域に於いて、露出悪く風化が進んでいる(グリーンタフ地域特有?)。

 

 

登山ルート概要(坂北ルート)と眺望

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坂北(中村)登山口に設置された登山ルート案内

今回の登山ルートは、「坂北(中村)ルート(登り)」と「坂北(刈谷沢)ルート(下り)」です。上記看板左下から時計回りに

  1. 坂北(中村)登山口 (0630)
  2. 御嶽山 (0650)
  3. 権現池 (0720)
  4. 展望台 (0750)
  5. 四阿屋山頂 (0805) ここまで登り、以降下り
  6. 展望台
  7. 権現池 (0845)
  8. 刈谷沢登山口 (0850)
  9. 坂北(中村)登山口 (0910)

 

坂北(中村)登山口まで 

車で、JR坂北駅南東の筑北小学校の北側の道を上がっていくと、やがて高台に畑が広がる東山地区に入ります。東山地区から南方の林道の入り口まで来ると獣除けのゲートがあります。

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ゲート真ん中に設置された標識や筑北村観光ウェブサイトによると、自由に行き来できるようです。蛇腹式のゲートに鍵はありません。写真左から右へ自由に開けられるので、ゲート通過後は、標識の指示通り、しっかりと閉めてください。ゲートから先は、道路脇から伸びる雑草や木の枝を右に左に躱しながら(車に傷がつく~笑)、舗装された林道を数分走ると登山口に到着します。

 

坂北(中村)登山口から

坂北(中村)登山口前の車道は拡幅されており(写真外左側)、詰めれば10台ほど停められるスペースがあります。ここから登山開始です。

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坂北(中村)登山口とその位置

 

登山道脇にたくさん設置された茸止めの標識を見ながら、樹林帯の山腹をトラバースしていると、石造物群の看板が見えてきます。石造物群までは主道から逸れて50m(10分)ほど登ります。

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ちょっと急な坂道を登りきると、小さなピーク付近(1,123m)に四阿屋山御嶽石造神像・不動明王*4木曽御嶽山に向かい鎮座(お立ちしていますが、汗)しています。

この地には御嶽信仰が篤く根付いているようです。信州の山ではこのような石像・石碑がしばしば見られます(例えば、美ヶ原高原)。

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 右側に2体ほどの空きが……

 

本道に戻り20分程やはりトラバース気味に歩くと、権現池に。ここから本格的な登りになり、樹林帯の尾根筋を上がります。

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権現池から樹林帯を30分ほど登ると、山頂手前のピークに。

左手を見ると……おぉー!!!

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ここは本ルートのハイライト、展望台です!山頂からの眺めよりも、こちらの方が眺望が素晴らしく開けたところなので、山頂よりもここで休憩時間を多めにとると良いかもしれません。主に北アルプスの眺めが素晴らしいです。

展望台からの眺め!ど~ん!(望遠持ってくれば……笑)

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白馬三山と、たらら山の国交省聖高原レーダ雨雪量観測所

 

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東天井岳付近から槍の穂先が!

 

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先週登った京ヶ倉・大城の東壁。里山にしては、なかなか立派な岩壁です。今日も山頂は満員御礼かな~?

 

展望台からの北アルプスの絶景を十分堪能した後、5分程歩くと四阿屋山頂上に着きます。山頂は周囲を松やブナの林に覆われた四阿屋神社の奥本社があり、眺望は限定的でした。

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それでも、北方の北信五岳や東方の長野盆地冠着山の眺望はなかなかのものでした。

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北信五岳のうち、左から戸隠山、(高妻山)、百名山妙高山黒姫山飯縄山

 

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ピラミッド型の冠着山(右)と長野盆地。左奥に北信五岳の斑尾山

 

当日はあと2山を登る予定でしたので、山頂の様子をぐるっと見た後すぐに下りました。下山ルートは、権現池までは同じ道を通り、権現池分岐点で刈谷沢登山口まで下りました。

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10分も掛からず刈谷沢登山口に着きました。ここでは眺望を期待していなかったのですが、上の展望台では林に隠れがちだった常念岳とその横に奥穂高岳前穂高岳が顔を出していました!

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基本的に筑北村からの北アルプスの眺めは良好です!

 

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蝶ヶ岳常念岳の稜線から前穂と奥穂

 

なお、この登山口も駐車スペースが広くとられていました。最短時間で登るならば、この登山口からをおすすめします。

思わぬ眺めを楽しんだ後、舗装された緩やかな坂道を10分程下ると登山開始地点の坂北(中村)登山口に到着です。

全体の所要時間は2時間半程度でした。登山道には倒木が少しありましたが、危険個所もなく整備されていたので快適に登れました。初心者の方も安心して登れる山でした。

 

下山後のお楽しみ~筑北村の観光施設~

筑北村には道の駅「さかきた」や直売所「まんだらの庄」*5、温泉宿泊施設やキャンプ場*6があります。

詳しくは、以下の筑北村の観光情報サイトをご覧ください。

chikuhoku.jp

 

山菜新そばのおいしい時期に温泉宿に逗留し、登山を楽しむのもよろしいようです。じゅるり( ^﹃^*)

 

※たまに筑北村の事を坂北村と間違えそうになりますが(というか読み返していると、所々間違えていました、汗)、平成の大合併(H17年、2005年)に坂井村、本城村と坂北村が合併して筑北村となりました。

おわりに

筑北村は車で少し上がるだけでも素晴らしい眺望が楽しめます。しかし、よく整備された山道をゆっくり歩くと、その地に暮らす人々の信仰や生業に出会い、山間部の文化を深く知ることができます。

このように長野県には、日本各地の他の農村部と同様に、地域に根差した山がたくさんあります。京ヶ倉・大城しかり、四阿屋山しかり。眺望と共に地域の文化を知りながら行く登山。悪くないですね!

 

一等三角点からの360度の大パノラマ、

【筑北三山ハシゴ登山②】聖山編につづく~!(予定)

 

関連記事

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*1:四阿屋山情報筑北村

*2:★1ピクニックレベル、★3丹沢、★5穂高連峰 ※筆者の主観。★1でも油断ダメ!

*3:地質データ産総研地質調査総合センター

*4:石造物群情報: 公益財団法人八十二文化財

*5:筑北村食べる・買う筑北村

*6:筑北村泊まる・温泉筑北村

ちょっとスリルな『馬の背』から新緑萌える【京ヶ倉・大城】:双子山脈の謎を追う! Apr 28, 2019

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京ヶ倉頂上から南西方向の北アルプス。眼下を蛇行する犀川は、北アルプス中央アルプス北部の水が集まり、千曲川に合流したのち信濃川となり日本海にそそぐ。

 

北アルプス槍ヶ岳を水源とし南北に分かれ流れる二つの川、梓川高瀬川。やがて松本盆地の中程で出会い一つとなり、長野盆地に流れ下っていきます。この北アルプスの水を集めた「犀川」は、その途中の山間の里「生坂(いくさか)村」で大きく蛇行します。

この蛇行した犀川に抱かれる生坂村には、里を見下ろす険しい「岩山」があります。

 

信州に移り住んでから、時々気になっていたけど名前も知らなかった「岩山」。特徴的な登山道があることを最近知り、この新緑で萌える岩山『京ヶ倉・大城(きょうがくら・おおじょう)』にGW初めに登ってきました。

標高1,000mに満たない山(京ヶ倉 990m、大城 980m)でしたが、岩場の多いルートはお手軽に高度感を楽しむことができ、稜線上からの眺めも素晴らしいものでした!

ちょっとしたスリルを味わいながら稜線上を歩いていると、東側に同じような顔つきの稜線がまた別に連なっていました。帰宅して調べてみると、この二つの稜線は地質的な繋がりがあり、双子関係にある山脈でした。

 

 

京ヶ倉・大城(きょうがくら・おおじょう)登山

中央道安曇野ICから国道19号にのり40分ほど車を走らせると、国道脇の犀川下流の生坂ダムによって水で満たされていきます。

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水鳥が遊ぶ川面の反対側に、ところどころに岩壁の見える山が見えてきます。この岩山が「京ヶ倉・大城」です(写真は京ヶ倉のみ)。

 

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標高こそ低いものの「京ヶ倉(右)・大城(左)」は周囲の里山と違い、斜面や稜線の至る所に岩が剥きだした荒々しい表情を見せます。この険しい岩山は、以下のように戦国時代には山城として使われていたようです。

この山の謂れは、戦国時代に生坂谷を治めていた丸山氏(仁科一族)が山上に城を築き、 甲斐の武田信玄との戦いの備えとし、武田滅亡後には府中(松本)の小笠原氏に攻められた古戦場でもあり、京ヶ倉-大城-眠り峠の登山道は小笠原氏が麻績城を攻めた時に使用した重要な戦略道路でもありました。

引用元:大城・京ケ倉生坂村観光情報

 

登山口までの車道と駐車場

登山口を示す標識に従って村の生活道路を車で上がり、動物除けのゲートを抜けて林道を進むと、数台の車が止まれるスペースがあります。ここが登山口になります。

登山当日はGWともあって、たくさんの登山客の車が林道の脇にまで停まっていました。ちょっと遅めの到着だったので、一見駐車スペースが見当たりませんでした。しかし幸いなことに、生坂村のボランティアの方達が車の誘導や登山登録をなさっており、無事に停めることができました(写真を撮るのを失念してしまいました……)。

 

登山ルートと眺望

【コース】京ヶ倉登山口(0950)ーおおこば見晴台(1020)ー京ヶ倉(1100)ー大城(1140)ー物見岩(1200)ー三角点(1205)ーはぎの尾峠(1215)ー眠り峠口(1230)ー眠り峠登山口(1250)ー国道19号(1330)
【歩行距離】7.1㎞
【所要時間】3h40m
【最低標高】505m(下生坂バス停)
【最高標高】990m(京ヶ倉)

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当初は大城までピストンする予定でした。しかし、この日に限り、縦走者の為に村のバスを無料で出してくれるということで、お言葉に甘えて縦走することに決めました。生坂村に感謝です!なお、通常時に縦走する方は、登山口と下山口が5㎞程離れていますのでご注意ください。

【縦走ルート】は、上記にあるように京ヶ倉登り口(上生坂)から上がり、京ヶ倉・大城を経て、眠り峠手前の登山道を下り眠り峠登山口(下生坂)まで7㎞程の道のりを4時間弱でした。

【難易度】については、体力的には多くの方には問題ないレベルと思いますが、技術的にはほんの少し高いと感じました。ですが、飽くまで里山のレベルとしてですので、初心者の方も経験者と一緒であれば登れる山だと思います。

これから本格的に日本アルプスを登る方にとって良い練習の山の一つになると思います。私も鈍っていた高度感を慣らすのにちょうどよかったです(笑)。

 

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登山口で登山受付をして、しばらくは緩やかな樹林帯を進みます。

 

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京ヶ倉までの登りの途中、「おおこば見晴台」から常念岳を中心とした北アルプスの眺めは素晴らしいですが、その下でダイナミックにカーブする犀川に目を奪われます。

さらに高度を稼ぐと、快適な樹林帯から徐々に岩が多くなり険しくなります。

 

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1時間ほど登ると「京ヶ倉・大城」の稜線に到達します。10分ほど歩くと、本ルートのハイライト「馬の背」です!

 

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「馬の背」の眺めは素晴らしいのですが、両側が落ちており、慎重に…… 心配な方は迂回ルートがありますのでご安心を。私も久し振りの高度感に緊張しながら(笑)渡り終え、急な登りを上がると…… 

 

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「京ヶ倉」の山頂に!

頂上は数パーティが休憩できるほどの広さでした。写真を撮っていると、すでに出来上がっている陽気なパーティに絡まれてしまったので、ご飯も食べずに早々に退散(笑)。

 

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次のピーク「大城」までも気が抜けませんが、素晴らしい眺めが広がります。

 

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「大城」で休もうかなと思い頂上に着くと、別パーティが…… ご飯を食べられそうなスペースがなかったので先を急ぎました(笑)。松林に頂上は覆われ眺めはいま一つでした。

 

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大城からの稜線上は、岩場も無くなり歩きやすくなっていきます。松林の中を歩いていると「物見岩」に至ります。

 

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物見岩から数分で三角点に到達。この三角点は三等になります。東側に一等三角点の聖山が見えます。

 

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10分ほど歩くと「はぎの尾峠」。さらに10分ほどで東屋に(ここにも人が……)。

 

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東屋から少し歩くとすぐに眠り峠口に、下り道を選ぶと眠り峠登山口に到着!因みに、眠りとはカーブの多い道の事だそうです。国道19号が出来るまでは、生活の道だったそうです。

国道19号まで下り、生坂村が出してくださったバスに乗って、車を停めた京ヶ倉登山口へ。生坂村の方々、ありがとうございました!

「京ヶ倉・大城」は、ちょっとした岩場とナイフリッジ状の馬の背に気を付ければ、初心者の方にも十分楽しめる山だと思いました!

 

下山後のお楽しみ、生坂村の観光

下山後、いろいろとお世話になった生坂村の為に何かお返しをしなきゃと、GW直前にオープンした道の駅「いくさかの郷」で生坂村名物(なのかな?)「お煮かけうどん」を食べて帰ろうと思ったのですが…… あまりの大盛況で食堂には人が溢れかえっていたので、恩返しはまたの機会としました(涙)

生坂村の施設】ですが、道の駅から車で5分程のところに、宿泊施設「やまなみ荘」があります。良心的な価格設定のお宿で、日帰り入浴もあり登山でかいた汗を流すことができます。

他にもざっと村内を車で走ってみたところ、パラグライダーを体験出来たり、巨峰が特産であったり、もちろんうどんの他に山菜おやきなどもあり、アウトドアや食事に楽しめそうな村でした。詳しくは生坂村観光情報でご確認ください。

実は今まで生坂村にはパッとしないイメージを持っていましたが、きれいな登山パンフレットを作成したり、登山客の為のサービスをしたりと地味なイメージが払拭されました。

個人的には、村の人に聞いたのですが、ハンガリーと繋がりを作って行く予定のようで、向こうの伝統音楽のライブ開催なんかを期待しています!

 

疑問の始まり「向こうにも同じような山が……」:双子山脈の謎

稜線上を歩いていると、

「あれ?同じような稜線が向こうの東側にもあるなぁ……」

「ところどころ崖になってるし、遠いけど石も同じようにみえるなぁ」

「京ヶ倉・大城」の稜線と平行に走る東側の稜線を見るとノコギリ状で険しく、こちらの山と同じような顔つきをしていることに気付きました。

この東側の稜線は岩殿山から続くので、仮に「岩殿山稜線」と呼ぶことにします。

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大城と京ケ倉(左写真、大峰高原より撮影)と、岩殿山稜線(右写真。右奥は四阿屋山と大沢山)。

 

岩殿山稜線をよく見ると、同じような石からなる崖が至る所に顔を出しており、こちらよりもさらに危険な香りに満ちています……あっちの馬の背の方がより長大ですねぇ……

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岩殿山稜線の拡大(手前の稜線、奥は四阿屋山と大沢山)

 

「京ヶ倉・大城」を造る石

京ヶ倉・大城の山域は堆積岩、すなわち泥岩、砂岩、礫岩の地層によって広く覆われています。実際登ってみて、ほとんど堆積岩しかありませんでした。斜面は砂岩優勢、稜線は礫岩優勢に感じました。(礫岩は真砂化した花崗岩のようにも見えました……)

これらの堆積岩は、日本列島の原形ができた後、およそ1000万年前のフォッサマグナの海が埋め立てられていく過程で堆積したと考えられています。

 

この地域の石の分布図(地質図)を見てみると……

つくば市筑波研究学園都市にある産総研地質調査総合センターのウェブページ上には、日本全国の地質図(地表面にどのような石が表れているかを示した図)が公開されています(地質図Navi - 産総研)。

この地域の1/5万地質図を見ると、「京ヶ倉・大城」と「岩殿山稜線」の間で同じような縞模様が東西対称に走っており、同じような石からなることが分かります。

 

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出典:産総研地質調査総合センター 1/5万地質図幅「信濃池田」 (佐藤・加藤, 1983) を一部改変

 

地層が折れ曲がった「褶曲構造」

さらに、東西方向の断面図を確認すると、黄色とオレンジの部分が谷状の形をしています。このような構造を褶曲(しゅうきょく)といいます。

褶曲とは、長期間大きな力が掛かることによって地層が波状に折れ曲がる現象です。因みに、山状の部分を背斜(はいしゃ)、谷状の部分を向斜(こうしゃ)といいます。

例えば、よく知られた褶曲構造としては(形成過程は異なりますが)、以下の紀伊半島のフェニックス褶曲が有名で、理科の教科書で見かけることがしばしばあります。

出典:「ブラタモリ富士山編」の案内人、静岡大学小山真人先生のツイート

 

双子山脈の謎解き

以上見てきたように、この二つの稜線の類似性は主に同時代の地層と褶曲構造に起因するのかもしれません。

すなわち、この地域にプレート運動に関連した大きな力が長い間にゆっくりとかかることにより、昔海底に堆積した水平な地層が地下で折れ曲がり、東西に同じような地層が地表に現れ、浸食に強い地層が残ったことによって、顔つきの同じ稜線「双子山脈」が出来たのでしょう(例えば、水野, 1976)。

※これは既存の研究を参考にして思った、個人的な感想です。

 

おわりに

帰宅後、「京ヶ倉・大城」周辺を調べていると、意外にも多くの岩殿山稜線に登っている方のブログがありました。どのブログを拝見しても、あちらの山の方が難易度が高いようです。というか、下手な北アルプスの山よりも危険です!もう少し勘を取り戻してから、いずれ挑戦してみたいですが(ビビりなので、ほどほどにですが、笑)、その前に、京ヶ倉・大城にまた登って帰りにうどんを食べたいですね!良い山でした!

 

引用・参考文献、ウェブサイト
産総研地質調査総合センター発行の地質図の二次利用について(2016年10月)

国立研究開発法人産業技術総合研究所地質調査総合センター(GSJ)は、公的機関によるオープンデータの推進と、地質調査総合センターの研究成果情報のより一層の普及のために、利用についてのライセンスの見直しを行い、10月3日より発効いたしました。

  • GSJウェブサイトから公開される研究成果情報のライセンスは「政府標準利用規約(第2.0版)」準拠となります。
  • 政府標準利用規約(第2.0版)の下で提供される GSJ の研究成果情報は、出典を明示していただくことで改変を含む自由な二次利用が可能です(利用申請手続き不要)。
  • これにより GSJ の研究成果情報が、従来よりも手軽にご利用いただけるようになります。
  • 印刷物やCD / DVDメディア等の二次利用は、従来通りクリエイティブ・コモンズライセンス(CCライセンス)となります。

引用元:地質調査総合センターの研究成果情報の利用に関する新ライセンス導入について

牛伏川フランス式階段工を辿り、晴れの【鉢伏山】へ:100年前の驚くべき山麓の様子とは!?Apr 18, 2019

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松本市中心地を前景に、鉢伏山(左)と高ボッチ山(右)。2019年2月城山公園より南東方向を撮影。山腹に崖の湯断層群(北東ー南西方向)。手前の中山丘陵の右側に牛伏寺断層(北西ー南東)が走り、市中心部に至り新しい河川性堆積物の下に潜在する。

 

長野県松本市の東に、高ボッチ山 (標高1,665m) を従え鎮座する鉢伏山 (標高1,929m)。

その山の名前を知らない地元の方も少なくないようですが、鉢伏山は市の景観をつくる代表的な山です。

手軽に1000m程の比高差の登山を経験でき、私も登山を再開した当初の1月に登りましたが、帰りに脚を痛めてしまいました。今回はそのトラウマを克服すべく再挑戦しました。

再挑戦の最中に、上記の写真のように緑に覆われた現在の鉢伏山とは大きくかけ離れた姿が、100年前の山腹にあることを知りました。

今回の記事では、登山道の様子・眺望と鉢伏山の明治以降の歴史について見ていきます。

※ルート説明や牛伏川砂防事業については自分のメモとしても記してあり、すこし長くなってしまいました。ですので、鉢伏山からの眺望をご覧になりたい方は目次から進んでください <(_ _)>

登山ルート

松本市からほど近い鉢伏山高ボッチ山と共に、長野県中央部、筑摩山地の南部を構成します。

鉢伏山の登山口は、鉢伏山北側の扉温泉と西側の牛伏寺にあります。

今回使った牛伏寺からのルートは、その下部で尾根筋ルートと牛伏川ルートの二つに分かれます(牛伏寺と牛伏川紛らわしいですね…)。

尾根筋ルートは牛伏寺の駐車場が登山口となり、牛伏川ルートは牛伏川いこいの広場駐車場が登山口となります。

この二つのルートは、鉢伏山スカイライン車道出合い直前で合流し一つになり、車道を経て鉢伏山荘で北側から登ってくる扉温泉ルートと合流し山頂に至ります(扉温泉ルートは2016年9月登山済み)。

前回1月の鉢伏山登山では尾根筋ルートを辿りましたが、今回は未踏査の牛伏川を遡上しました。

尾根筋ルートと牛伏川ルートでは、後述するように牛伏川沿いの登山道中間部の状態が悪いことから、整備状態の良い尾根筋ルートをお勧めします。

 

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ルート概要(牛伏川ルート)

鉢伏山登山口の牛伏川いこいの広場駐車場に設置された看板には、鉢伏山スカイライン車道出合いまでの牛伏寺ルート下部(尾根筋ルートと牛伏川ルート)が記されています。

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コース:牛伏川いこいの広場 (09:05)ー車道出合い (11:00)ー鉢伏山 (12:10-13:30)ー車道出合い (15:00)ー牛伏川いこいの広場 (16:20)

歩行距離:7.2㎞
標準所要時間:登り3h45m、下り2h30m(松本市公式サイト美ヶ原高原ロングトレイルより)
最低標高:979m(登山口)、気温:約10℃(09:00)
最高標高:1929m(山頂)、気温:13℃(13:00)

 

牛伏川ー鉢伏山スカイライン車道出合い

牛伏川ルートの登山開始は牛伏川いこいの広場駐車場から。明治時代の砂防ダムを見ながら林道をしばらく上ります。 

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牛伏川いこいの広場駐車場(左写真)と、合清水沢出合い(右写真)

 

林道が終わる松建小屋から本格的な登りが始まります。木材でつくられた登山道は所々朽ちており、厚く積もった落ち葉で登山道表面の状態が分かりづらいです。

特に勾配の急な日影沢と地獄谷は、斜面からの落石、登山道の踏み抜きや滑落など細心の注意が必要です。また、鹿よけのネットが登山道にかかり、歩きにくい場面もありました。

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松建小屋(左写真)と、地獄谷(右写真)。地獄谷は倒木が目立ちます


核心部の地獄谷を抜けると極楽平になります。ここは沢筋が無くなる広い緩斜面の落葉樹林帯で、下流に比べ歩きやすくなります。

しかし、落ち葉が厚く堆積しており登山道が不明瞭となります。足元に注意しつつ、木に巻かれた目印のテープを見ながら、迷わないように気を付けましょう。

緩斜面をトラバース気味に登ると尾根筋に道は続き、やがて眺めの良い平坦面、地獄谷石切場に出ます。

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 極楽平(左写真)と、地獄谷石切場からの眺め(右写真)

 

石切場からトラバースして北側の尾根に取り付くと、すぐに尾根筋ルートと合流してブナノキ権現が上部に見えます。

さらに尾根を10分弱登ると鉢伏山スカイラインの車道出合いの広場に着きます。

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ブナノキ権現(左写真)と、車道出合い(右写真)

 

鉢伏山スカイライン車道出合いー鉢伏山荘ー鉢伏山頂上

鉢伏山スカイラインからは歩きやすい舗装道路となります。眺望(北アルプス南部から八ヶ岳南部まで)を楽しみながら、小一時間進むと鉢伏山荘になります。スカイラインは、冬季閉鎖解除後(5月上旬)に車の通行もありますので気を付けてください。

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鉢伏山スカイラインから北アルプス南部(左写真)と、鉢伏山荘と鉢伏山頂上(右写真) 

 

山荘から山頂までは広い遊歩道を歩きます。この日は積雪があったので少々時間がかかりましたが、20分ほどで山頂に着きます。

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遊歩道(左写真)と、山頂直下の展望台(右写真)。奥に御嶽山

 

鉢伏山頂上と地獄谷石切場からの眺望

今回の登山道では、鉢伏山スカイライン以外に、眺めの良いポイントは2カ所ありました。牛伏川ルート最上部の地獄谷石切場鉢伏山頂上です。北アルプス南部の眺望だけで良ければ、石切場で十分でした。因みに、隣の尾根筋ルートや扉温泉ルートはあまり眺めが良くないです(尾根筋ルート下部の鉄塔からの眺めは良いらしいですが)。

ところで私は、移動中は主にスマートフォンのカメラで撮影していますが、眺めの良い所では一眼レフカメラを使っています。

普段カメラは、Pentax KP+DA16-85 (35mm換算24.5-130mm)の組み合わせですが、今回は槍穂のアップを捉えたく、レンズを替えてDA55-300PLM(同換算84.5-460mm)を使って撮影しました。

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松本市市街地南部と北アルプス南部(地獄谷石切場

 

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石切場から穂高連峰(左写真)と、槍ヶ岳(右写真)。北穂北斜面の切れ込みがえげつない……

 

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常念岳(左写真、石切場)と、白馬三山(右写真、鉢伏山頂上)

 

松本空港から都道府県警察航空隊ヘリ(A109E)。写真を拡大しても所属や機体名は確認できず…… 尾翼の配色から新潟県警の「はるかぜ」?

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鉢伏山頂上から新潟県妙高山と警察航空隊ヘリ(左写真)と、浅間山と同ヘリ(右写真)

 

今回望遠レンズを使用してみて、迫力のある山容や警察のヘリを(下手なりに)撮ることができ良かったかなと思うのですが、 もっと引いて山域全体を撮りたい場面が多かったです。ですので、従来の広角寄りのレンズの方が自分としては満足感が得られたかな。

 

 使用機材など:

www.ricoh-imaging.co.jp

www.ricoh-imaging.co.jp

www.ricoh-imaging.co.jp

 

鉢伏山高ボッチ山、どっちがおすすめ?

鉢伏山(1,929m)と高ボッチ山(1,665m)は一つの山塊を成し、鉢伏山スカイライン(5月上旬開通、松本市林道規制情報)で繋がっている為、冬季以外は車で行き来できます。

どちらからも似たような素晴らしい景色が楽しめます。しかし、もし時間的な制約などから、どちらか一方しか行けないとしたら…… 

標高の高い鉢伏山が良いように感じられますが、以下の理由から高ボッチ山をお勧めします。

  • 高ボッチ山は徒歩(登りで1時間程短い)でも車でも短時間で上がれる。
  • 駐車場が有料(500円程)の鉢伏山に対して、高ボッチ山は無料。
  • 駐車場からの展望台へのアクセスは、高ボッチ山の方が圧倒的に良い!しかも高ボッチは駐車場も展望台!
  • 鉢伏山頂上の東側は森林によって八ヶ岳の眺望が悪く、一方、高ボッチ山は展望台と駐車場からそれぞれ眺めが良い。
  • 特に高ボッチ山展望台からの富士山と諏訪湖のコンビネーションは最高です!
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高ボッチ山中央アルプス(左写真)と、高ボッチ山駐車場(右写真)

 

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牛伏川フランス式階段工と100年前の牛伏川の姿

さて、ここからは牛伏川の砂防事業のお話です。

今回通った牛伏川ルートには、砂防施設としては2例目の国の重要文化財「牛伏川フランス式階段工」があり、ルート上のハイライトの一つとなります。

恥ずかしながら、私はこの階段工しか知りませんでした。林道を登っていくと石積みの流路や砂防ダムが次々に現れ、看板を見ると「1986年?ん?1886年…!100年以上前に造られたのか!」と驚きながら登っていきました(笑)。

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牛伏川フランス式階段工(左写真)と、明治時代に造られた上部の石堰堤(右写真)

 

下山時に堰堤横に設置された案内板をじっくり見る時間があり、この地域の砂防事業の歴史を知りました。

現在ののどかな様子からは窺い知ることのできない、荒廃した姿と長い砂防の歴史が牛伏川にはありました。

 

牛伏川の砂防事業の歴史

牛伏川(ごふくがわ、うしぶせがわ)の砂防事業は明治時代まで遡ります。

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松建小屋の看板から、100年前の砂防事業前後の写真。牛伏川の荒廃した様子(左写真)と、空石積みの砂防施設設置後の斜面(右写真)

 

昨年2018年松本市で開催された「牛伏川階段工完成100周年記念行事」の講演内容(後藤、2018)によると、

風化しやすい花崗岩(おもに角閃石花崗閃緑岩)からなる急峻な牛伏川上流域は、江戸時代から刈敷(堆肥)や城下町建設の用材として材木が切り出されていました。また野火による山火事も度々発生し、斜面から植生が失われていきました。

その結果、斜面の荒廃が進み土石流が多発しました。この土石流によって下流地域は甚大な被害に苦しみ、その記録が多く文献に残っています。特に江戸時代後半に災害が多かったようです。

明治政府内務省はこの暴れ川を鎮めるために砂防事業を開始しました(後に長野県が引き継ぐ)。しかし、当初は地元の洪水を防ぐためではなく、下流地域の新潟港の発展のために実施したようです。

砂防事業は戦中も含め断続的に現在まで続いていますが、林道に見られる大規模な空石積みの堰堤や流路は事業最初期に造られ、土石流被害も少なくなりました。

この砂防事業の代表的な建築物である「牛伏川フランス式階段工」は、フランスのデュランス川最上流サニエル渓谷の階段工を基に施工され(1916年、1918年完成)、2012年に国の重要文化財として登録されました。

砂防事業に加え、1996年から林相転換事業が始められました。砂防事業初期に植えられた北米原産のニセアカシアは、痩せ土に強いため森林回復の原動力となりました。しかし、老齢期を迎え倒木が目立ち斜面を荒らすようになりました。

現在、この外来種に替わりコナラなど在来種の植え替えが実施され、防災と生態系の保全を両立した事業が進められています。

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松建小屋付近の法面工事(左写真)と、林相転換事業概要図(右写真)

 

牛伏川の崩壊地のもう一つの原因? :崖の湯断層群

前述したように、牛伏川の崩壊の原因(後藤、2018)として、

  1. 急峻な地形
  2. 風化しやすい花崗岩からなる地質
  3. 森林の乱伐
  4. 山火事

が考えられています。

2の花崗岩についてですが、すべての花崗岩が風化に弱いというわけではありません。この地域の花崗岩を見ると、北アルプス有明山や燕岳に見られる花崗岩の真砂化*1はあまり確認できず、それほど風化が進んでいるようには見えませんでした。

この地域の地質をあらわした論文(高畑、2015)によると、高ボッチ山西麓に多く見らる「崖の湯断層群」がこの地域にも広く分布しており、花崗岩を切っていることが分かります。

最近の調査・研究で分かったこの断層群によって、地表に露出しある程度風化した花崗岩が広く破砕されることによって、上記の原因と合わせて、崩壊が進んだのかもしれませんね。飽くまでも妄想ですが……

 

cashel.hatenablog.com

 

参考・引用資料

 

おわりに

今までの山行のお陰でしょうか懸念していた脚の痛みもなく、歩いていると汗ばむ陽気のなか半袖で登っていました。

そんな登山日和のもと、落ち葉や土壌の堆積した沢筋の道は、一見すると100年前に荒廃していたことが信じられない程に木々に覆われ、たくさんの動物たちの息遣いが聞こえてきました。明治時代からの先人の知恵と苦労が現在に至り実を結んだ結果なのでしょう。

しかし新たな問題が発生しているようです。先日の茶臼山と同様に、この森でもシカによる食害が深刻なようで、食害除けのネットをたくさん見かけました。

cashel.hatenablog.com

 

災害や環境の問題を一つ解決しても、多くの事象が複雑に絡み合った自然や生態系は予想もしない新たな問題を人間に突きつけます。

これからも人間と自然との知恵比べが続いていくのでしょうね。

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鉢伏山頂上の散策路付近

*1:花崗岩の物理的風化作用の一つ。鉱物の熱膨張率の違いにより、結晶単位でバラバラになり砂礫状の真砂になること。後に化学的風化に進みやすい。

国境の長いトンネルを抜けると・・・【立山黒部アルペンルート】Apr 15, 2019

国境の長いトンネルを抜けると、

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そこには、雪と氷に閉ざされた世界が広がっていました。

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先日の爺ヶ岳の記事を書いている時に、

cashel.hatenablog.com

 

立山黒部アルペンルートが4月15日から全線開通することを知り、

近くを通る用件があったので、ついでにと長野県側の扇沢駅から、

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今シーズン、「トロリーバス(左)」から交代した「電気バス(右)」に乗って、

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開通初日の4月15日に、雪と氷だらけの【黒部ダム】を見学してきました!

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以前、黒部ダム周辺には関電から許可を得て自分の車で何度も訪れ、更にその奥地まで潜りこみ、そこから道なき道を歩いていました。ですので、お金を払って行くのに抵抗がありましたが……

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(上部軌道と鹿島槍ヶ岳 

 

登山を再開したので、爺ヶ岳の登山口の視察も兼ねて行ってきました。

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爺ヶ岳扇沢駅手前の柏原新道から登るのが楽です。6月中に通れるようになります) 

 

しかし当日の天気は、下界は晴れていたのですが、

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安曇野市から有明山と餓鬼岳)

 

北アルプスは雪雲に包まれ、天気には恵まれませんでした。

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扇沢駅から爺ヶ岳南稜と、扇沢出合から赤沢岳の稜線)

 

黒部湖駅の駅員さんに聞いたところ、富山県側の天気はさらに悪く、ルート上部の弥陀ヶ原~室堂は運休でした。長野県側からは室堂まで上がれたようです。

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黒部ダムでは天気が目まぐるしく変わり、吹雪いていたと思ったら晴れ上がり、またすぐに雲に閉ざされ……4月半ばですが、冬山の凄さに改めて驚かされました。

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こんなところ歩いたら凍え死ぬ……至る所雪崩れてるし……やっぱり自分には、冬の登山は低山が合っていると思いました(笑)

そんなことを思いながら、堰堤上の強風に吹き飛ばされそうになりながら凍てつく光景を後にしたのでした。

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黒部ダムから黒部川を下ると、白竜峡、十字峡とS字峡を経て、仙人谷ダムと阿曽原温泉小屋、そして欅平に至ります。この「水平歩道旧日電歩道」の全ルートが開通するのは残雪の消える9月頃。難度の高いルートですが、その横には「黒部ルート」が並行します。黒部ルートでは、関電の管理する「黒部トンネル」、「インクライン」と「上部軌道(黒部専用鉄道)」が、黒部ダムから欅平を結びます。これまで年間2000人程度の利用に限定していましたが、2024年から一般開放され、年間1万人程度受け入れるそうです。ここから欅平まで、すこし気軽に行けるようになりそうですね!)

www.chunichi.co.jp

 

翌日16日は快晴だったようですね(涙) 

www3.nhk.or.jp

 

早く雪解けないかな~本格的に登りたい!

f:id:Cashel:20190416124908j:plain鹿島槍ヶ岳南峰から立山剱岳

 

そいえば、こんなの売ってました。知り合いに見せたら苦笑されました(笑)

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「帰れなくなっちゃうよね」@爺ヶ岳 Oct 07, 2016

※今回の記事は、2016年10月に登った爺ヶ岳北アルプス後立山連峰)です。

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「帰れなくなっちゃうよね」

ふと声のした方を振り向くと、これから下山しようとザックを背負った女性が少し同情するように私を見ていました。

 

登山客が山談議に賑わっている爺ヶ岳南峰のお昼時、山頂からは絶景が広がり。

 

北アルプスが造った平原の向こう、遥かな雲間に浮かぶ富士山

霞たなびく蓮華岳針ノ木岳、その後ろで槍ヶ岳が天を指す

氷河を山腹に抱き、威風堂々と誇らしげに聳える剱岳立山連峰

 

長らく会っていなかった山々に魅了され…… 

女性の声に気付くと周りの喧騒は消えていました。

二言三言交わしたあと、山頂の絶景を名残り惜しそうに女性は、そろそろ冬支度の始まる種池山荘へ下っていきました。

暫く景色を目に焼き付けた後、私も爺ヶ岳を後にしようと……

忘れていた運動不足の脚の痛みや疲れがどっと蘇る……(笑)

 

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松本盆地を前景に富士山と南アルプス

 

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槍・穂高連峰を背景に蓮華岳針ノ木岳。晩秋の10月、針ノ木大雪渓は残っていません。谷底には立山黒部アルペンルートの信州側の出発地、扇沢ターミナルが見えます。今年は4/15 (月) 全線開通です!今年から扇沢トロリーバスではなく電気バスになりますが。

 

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黒部別山を従え、熱く打たれた鋼のように鋭い岩峰からなる剱岳。実際に山頂は熱変成した閃緑岩から成ります。

 

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剱岳と同様に、現在に至り氷河を残す立山連峰。手前は種池山荘。

 

これらの山に、またいつか登りたい!